コンピューターアートはデジタル技術を筆の代わりに利用した芸術

コンピューターの対応できる分野は、単に複雑な計算を人間に代わって対応するような部分にとどまらないことは、すでに良く知られていることです。

その中でも芸術の分野におけるコンピューターの使用頻度は、非常に高いものになっています。

どの程度までコンピューターが関与したら、コンピューターの創りだした芸術と言えるのでしょうか?その境界に関するいくつかの説を紹介します。

コンピューターアートとは?

芸術作品を制作する作者が、コンピューターをツールとして利用して、その特性を最大限活かした表現をした場合には、それを「コンピューターアート」と評価しても良いでしょう。

コンピューターをツールとして利用しても、その特性を生かしていない場合はどうでしょうか?

例えば筆に墨をつけて書くべき水墨画を、コンピューターの画面上で全く同じように書いた作品などです。

作者がこれはコンピューターアートですと主張すれば、そうなのかも知れません。

アナログ的な表現を単にコンピューターで同じように表現しただけの作品では、本当にコンピューターを使って制作したのかさえ目視では判断できないでしょう。

音楽の分野でもそれは一緒です。伝統的な楽器の音をそのままデジタル楽器で再現しても、それがコンピューターミュージックであるとは評価できません。単にツールとして利用するだけで、コンピューターとしての特性を生かしていないからです。

コンピューターもひとつのツール

コンピューターアートの定義も時代とともに変わってきたようです。それは急激に進歩したコンピューター関連の技術によって、新しい手法が次々に登場したことも原因の1つでしょう。

芸術家にとっては自分の頭に描いている情景を、できるだけ正確に表現できるツールが必要になります。

ところが初期のコンピューターの世界では、それを表現できるだけのデジタル的な技術がありませんでした。

そのためコンピューターアートとは、いかにも機械的で人間が手で書くことができそうにないものであるという考えが、主流であったと想像できます。

ところが現在では人間の手で表現できることは、全てコンピューターでも可能となっています。

その結果、コンピューターアートと呼ばれる作品も非常に多くのスタイルを持つに至りました。ここまでくるとコンピューターの存在を考慮する意味はないのかも知れません。

その作品が鑑賞した人の心を打つことができるかどうかだけを問題にすべきでしょう。コンピューターも多数のツールの1つであると言うのならなおさらです。

コンピューターアートの可能性は?

すでに多数の芸術の分野で使用されているコンピューターですが、今後もその依存度が向上するでしょう。

絵を書くのも、演奏するのもコンピューターの操作の一部となっている現状ですが、それでも作者の感性を忠実に表現するツールである点は、鉛筆でも筆でも楽器でもコンピューターでも同じです。

絵を描いたり演奏したりする技術を習得する時間を短縮できるところが、コンピューターの利点です。

新しい表現を考えるという重要な作業は、我々の担当すべき仕事としてこれからも残ります。

最終的には、新しいものを創造するという最後に残された仕事さえ、コンピューターに奪われる可能性があります。

そうなるとコンピューターの人工知能によって制作された作品を評価する仕事が、我々に残された仕事になるでしょう。